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小屋に音楽加えると、、、身体は入れ物である事を感ず。

最近、amazonで中古のCDを2枚購入。
1994年と1995年に制作されたるその音楽。
いつ創られたか?では無くていつ聴くのか?。
どのような感情で、どのような環境で?ってのが大切だなって再認識。
やっぱし自らが欲しているものは良い!<頭と心に。
で、友達に沢山の音楽を頂く。
打楽器は宇宙のリズムを感じるモノだし、旋律やフレーズは、頭と心にそよ風。
打ち込みでもサンプリングでも生でも、リバーブもフランジャーも、僕に届く表現方法。
「ジャンル」ってのは確かに利便性はあると認めるけれど、それほど重要では全くなく。

昔、雪板してたら思いっきりこけた。
で、そのまま顔を雪に埋もれたまんま、しばらくジーッと固まってたら、確かに聴こえたんやわ、「雪が雪に降り積もる音」が。
かすかな音で、聴いた事が無かった音だった。
その時は自分も雪の気持ちが少し解ったような気がしたし、雪でもあるのだと感じた。
数年前にレイヴに行った時には、一人喧噪から離れて、やけに近くに感じる事が出来る空と星と山と木に囲まれて寝転がってた時には、全ての音を5感全てで拾っていた。
木は集まって音を発し、決して一定に輝く事の無い星は、僕の目から音を(声を?)届けてた。
遠くに聴こえる音楽は、心地よいBGMになってて、それぞれの音に溶け込んでたな。
その時の僕は、星と木と山に向かって話してた。確かにあの時は会話が出来ていた。
音ってのは耳だけで感じるものではないかもしれないって思った、確信した瞬間。

小屋でマタ〜リ音鳴らして、紅茶飲んでると色々な音が聴こえる。
きっと耳には届かない、植物の揺れる音や、成長する音、小さなスピーカーから耳に届けられる「聴く為の音」だけではきっと「気持ち」は違うと思うし、逆もまた然り。
時間帯に因ってはそこに小学生の声が聞こえて来たりする事も在って、そんな音を聴くと、またなんでかホッとする事も在る。
目の前は車が騒音を発しながら走って行く。
凄く怖いと感じる事も在れば、気にならない事も在る。
至る所に、脳内から電気信号として処理されるはずの音が氾濫し、また自ら選択する。
そんな「妄想」か「幻想」か解らないような感情を司る、音楽や音はやっぱし、、、。
ん〜、愛だな(笑。
by trequartista5 | 2005-02-04 15:19 | 徒然
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